2010年6月17日更新
アトランタ五輪日本代表のキャプテンとして28年ぶりのオリンピック出場に貢献、強豪ブラジルに奇跡の勝利を挙げるなど、20代前半から世界を舞台に活躍してきた前園真聖さん。その後、ブラジル、日本、韓国とプロサッカーリーグを渡り歩き、現在もサッカー解説、少年サッカー指導、ビーチサッカーと、前園さんらしいチャレンジを続けている。前園さんがサッカー人生の中で獲得してきた行動哲学とは?
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- 高校2年で国立競技場に立ち、準優勝を果たして注目選手へ
- 鹿児島実業高校に入学し、応援してくれる家族に、プロ選手となって恩返しすることを心に誓う。全国高校選手権大会初出場にして準優勝、いきなり注目を浴びる。
マラドーナに憧れて練習に明け暮れた少年時代
兄貴がやってるのを見て、追いかけるように始めたサッカーに夢中になったのは小学生の頃。サッカーショップのおじさんに貸してもらったビデオで、ボールが足に吸い付くようなマラドーナ選手のドリブルに衝撃を受け、毎日繰り返し見ては彼をイメージして、少しでも近づこうと練習に励んでました。
高校進学の際には、地元でサッカーが強かった鹿児島実業に行きました。鹿児島実業は、サッカー部員だけで100人以上もいる大所帯。毎日へとへとになるまで猛練習して、2年でやっとレギュラーに。その頃、日本でのプロサッカーリーグ設立が正式決定したこともあり、漠然と「海外に行ってサッカーをやろう」と思っていたのが、「Jリーグの選手になる」という明確な目標に変わりました。 その後、2年の冬の全国大会では国立競技場でプレーでき、準優勝。3年では全国ベスト8で破れましたけど、高校選抜メンバーにも選ばれ、もう、その頃の僕は「怖い者なし」。「すぐにでもレギュラー獲ってやる」くらいの勢いで、Jリーグの横浜フリューゲルスに入団したんです。
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サッカーに対する姿勢を変えたアルゼンチン留学
ところが、世の中、そう甘くはないですよね。丸1年もトップチーム(1軍)には登録されませんでした。認められずにふてくされる一方で、鹿児島の田舎から都会に出てきた僕にとっては、遊ぶところも誘惑もいっぱいですから、サッカーに集中してない部分もあって。さすがに1年経って「このままじゃダメだ」と思っていたとき、留学の話をいただきました。「今、行くしかない」というタイミングで、尊敬するマラドーナのいるアルゼンチンに行くことができました。
わずか3カ月間の留学でしたが、僕にとって大きな転機になりました。サッカーが大好きだった自分の原点を思い起こさせられたというか。アルゼンチンの子どもたちは、コンクリートでもストリートでも、どこでもサッカーボールを追いかけている。それも目をキラキラ輝かせながら。
決して裕福じゃないけど、プロを目指して夢を持つ子どもたちや、僕と同年代のプロ選手もわずかな報酬とバイトで食いつなぎながら頑張っている。そういう姿を見て、すごく反省させられたんです。生ぬるい環境でプロとして満足していた自分が情けない、サッカーに対してこんな気持ちじゃダメだ、と。
帰国後は、サッカーに向かう姿勢や取り組み方が、がらっと変わりました。短い練習時間でも集中するようになりました。例えばシュートの反復練習だったら、「今日は左隅を狙って何本決める」とか、練習試合でも「今日はパスもドリブルも一つもミスをしない」とか、その都度、自分なりの課題や目的意識を持って臨むようになりましたね。監督もそうした姿勢を評価してくれたのか、試合で使ってもらえるようになりました。













