2010年4月22日更新
伊勢丹勤務時代、「解放区」などの斬新な売り場をプロデュースして“カリスマバイヤー”と呼ばれた藤巻幸夫さん。独立後は福助の企業再建など多彩なキャリアを積み、現在は自社の経営ほか、数多くのプロジェクトにかかわる。 「人との関係を大切にしてきたら、自然と仕事の幅が広がってきた」と語る藤巻さんのキャリア哲学に迫る。
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- バーニーズにバイヤーとして出向
- バーニーズ・ニューヨークに出向。バイヤーとして、パリやミラノ、ロンドンなど世界中をを回り、最先端のファッションに触れる。
新人時代は“伊勢丹の寅さん”
キャリアって要するに“KKDK”だと思っています。“経験”すると“勘”が生まれる。すると“度胸”が据わって“行動”できるようになる。するとまた新たな経験につながるんです。このサイクルの繰り返しのように思いますね。自分が伊勢丹に入社してから30年ほど経った現在まで、その軸で自分を広げてきたと改めて感じています。
伊勢丹に入社して配属されたのは婦人服で、最初の仕事はバーゲン品の販売でした。3坪ぐらいの売り場で売れ残りの商品をいかに売るかというコツを学ばせてもらいました。当時は“伊勢丹の寅さん”と呼ばれていましたよ(笑)。
この頃の思い出は、先輩たちと飲みに行ったことばかり(笑)。ずいぶん可愛がってもらいましたね。そして、3年目ぐらいになると、今度は自分が後輩やアルバイトを連れて飲みに行き、人生について熱く語ったりしていました。こういう日ごろからの何げない人付き合いが、その後のキャリアの随所ですごく生きてくるんです。- 29
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バーニーズでの失敗と帰国
自分のキャリアにおける大きな転機は2回ありました。29~30歳の時と、39~40歳の時です。
29歳の時に、アメリカの専門店のバーニーズ・ニューヨークに出向しました。パリやミラノ、ロンドンも回って、世界のトップクリエイターを相手に商品を買い付けたり、プロデュースする仕事をしていました。楽しかったですね。パリコレに行ったりもして、「俺は世界最先端のファッションシーンの真っ只中で仕事をしているんだ、凄いだろう」と強い自信を持ちましたが、いかんせん自意識過剰、自惚れていたと思います。しまいには、遊びのほうに熱中して仕事に集中せず、勤務態度が悪かった上に在庫をつくりすぎて上司から叱られる始末。しかも、僕は素直に謝れなかったんです。意地やプライドが邪魔をしました。それで日本に戻されることになったんです。バーニーズにいたのは結局2年ほどと短く、とても悔しい思いをしました。意気消沈して、上司の部長に退職を申し出たのですが、その時「お前、せっかくここまで頑張ってきたんだから、ここで辞めたら自分のためにならないぞ。辞めるのはいつでもできる」と言われてね。この一言で僕は退職を思い止まりました。その上司がいなかったら、今の僕はないですね。その上司とは、後に伊勢丹の社長に就任した武藤信一という人です。武藤さん以外にも、新人の時にお世話になった先輩方3人にも引き止められました。この4人が、30代の自分に導いてくれた恩人です。













