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- “科楽”を広める裏方を志し、サイエンスプロデューサーに
- 「科学実験をエンターテインメント化するノウハウやテクニックを売りにして、食っていくしかなかった」。今では、テレビ、サイエンスショーなどに引っ張りだこのでんじろう先生だが、実は人前に出て何かを演じることは苦手なのだとか。
自分が動くことで周りも動いて、連鎖反応が起きた
「辞めたい」「○△がしたい」と頭で考えていた頃は何も変わりませんでしたが、実際に教師を辞めたら自分の周囲が動き出して、色々な人や仕事との出会いがありました。
「ユニークな授業をする教師がいる」と、あるドキュメンタリー番組が僕のことを取り上げてくれて、それがびっくりするくらい話題になって、いろんな問い合わせが殺到したんです。それで、結果的にテレビ番組に出演したり、サイエンスショーの舞台に立ったり、講演を行ったり、人前に出ることが多くなりました。
僕の肩書きは「サイエンスプロデューサー」というんですけど、これは、人前に出るよりも、子ども向けの科学教育本の企画や番組制作の協力、科学館のリニューアルや演出など、裏方の役割がしたいという思いでつけた造語なんです。
正直言って人前に出て何かを演じることは今でも向いていないと思っています。ただ、フリーランスは仕事を断るのがすごく怖いんですよ。来月も仕事があるかどうか、まったくわかりませんから。やりたいこととは違う方向性の仕事の話が来ても、断らずにやってみたらそれがまた次の仕事、次の仕事につながっていった。流れに逆らわず、素直に身を任せ続けてきました。住宅展示場や競馬場での野外実験など想定外の仕事も多かったけれど、なんでもやってみたら肥やしになるんです。
- 40
- 歳
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強みを活かしてきたら、結果的に世の中にニーズが生まれた
人生の道は1本だけではない。それは今になってつくづく実感しています。踏み出したから道が開けて今の自分につながったけど、きっと独立を思いとどまっても別の道があったんでしょう。
思い悩んでいる時は、いろいろシミュレーションするんですが、実際にはその通りにはならないものです。これは僕の経験値でしかないですが、人生の方向性をあまり一途に決め付けないほうがいいんじゃないかな。もしも僕が信念の強すぎる人間だったら、独立後にいろんな仕事を断ってしまって、今の自分にはなれなかった。
ただ、強い信念を持ってやってきたわけではないけど、子ども時代の自然科学への興味、教師時代に生徒に興味を持たせようといろいろ試したこと、実験番組作りの企画など、科学の実験をエンターテイメント化するという分野では人には負けないという自信はありました。だから、この分野で続けて来られたんです。
独立して14年、何も予定していなかったけど、振り返ってみると、自分の強みを活かしてきたことで科学を純粋に楽しんでくれる人が増えて、世の中に新しいニーズを作りだすことはできたんじゃないかなと思っています。
「米村でんじろう」
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- 21歳
- 高校卒業後、三浪を経て東京学芸大学に合格。引きこもり生活から脱却する
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- 24歳
- 研究室のPCにかじりつき、緻密なプログラミングを習得。先生から頼られ自信を取り戻す
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- 29歳
- 研究者になる道を断念。教員採用試験をパスし、都立高校教諭に。以後11年、教師生活の中でいかに興味を持ってもらえるか試行錯誤
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- 40歳
- 高校教師の職を辞し、サイエンスプロデューサーとして独立。依頼される仕事は一切拒まず、すべて受け続けた
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- 42歳
- 仕事量が増加。組織化のため、米村でんじろうサイエンスプロダクションを設立。フリーランスから会社社長に

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米村でんじろうDenjiro Yonemura
1955年千葉県市原市生まれ。東京学芸大学大学院理科教育専攻科修了後、自由学園講師を続けながら、研究者を目指すが断念。29歳で教員採用試験をパスし、都立高校の物理教諭に。11年間教職を続け、39歳で高校を退職。1996年4月、「広く科学の楽しさを伝える仕事を目指し」、フリーランスのサイエンスプロデューサーとして独立。NHK総合テレビ「オレは日本のガリレオだ!?」、日本テレビ「それいけkinki大放送」などに出演、話題となる。1998年、有限会社米村でんじろうサイエンスプロダクションを設立、代表取締役に就任。独立から14年間、現在もサイエンスプロデューサーとして、科学実験の企画・開発、各地でのサイエンスショー・実験教室・実験キャンプ・研修会・講演会などの企画・監修・出演、各テレビ番組・雑誌の企画・監修・出演など、様々な分野で幅広く活躍中。
http://www.denjiro.co.jp/
- 取材後記
- 想定外の出来事や壁に突き当たっても、流れに逆らわず身を任せてきただけ、強い信念を持って仕事をしているわけではない、と語ってくれた米村さん。しかし、「科学の実験をエンターテインメント化するという分野では人には負けない」という言葉には、はっきりとした力強さがあった。自分の強みを自覚し、好きなことの方向性を見失わなかったからこそ、現在の成功があるのだろう。▼今回のインタビューは、本文に掲載した以外にも、自然の中で遊んだ幼少時代の話や、教師時代のエピソードなどを面白おかしく話してくれ、笑いの絶えないものだった。相手を楽しませるその姿勢にも、“でんじろう先生”の人気の所以を垣間見た気がした。
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- FILE.04
- 米村でんじろう
- サイエンスプロデューサー
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- FILE.05
- 坂東眞理子
- 昭和女子大学学長
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- FILE.06
- 野口健
- アルピニスト
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- 総集編
- 一歩を踏み出す原動力
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- FILE.07
- 藤巻幸夫
- 株式会社藤巻兄弟社 代表取締役社長
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毎回、著名な「あの人」の転機や人生哲学にアプローチします。お楽しみに!




