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階段を一歩上るとき ワタミ株式会社 代表取締役会長・CEO 渡邉美樹 価値観や人生観を明確にすることで、次の一歩が踏み出せる

24歳で会社設立。居食屋「和民」に代表される外食をはじめ、介護、中食、農業、環境などの事業を展開しているワタミグループを牽引するカリスマ経営者・渡邉美樹さん。1軒の居酒屋からスタートし、年商1000億円超の企業グループにまで進化させた渡邉さんの仕事哲学とは?

  • 階段を一歩上るとき|22歳 北半球一周のひとり旅で、外食産業での起業を決意
    北半球一周のひとり旅で、外食産業での起業を決意
    「外食産業で勝負すること、3年後に会社を設立することを決め、その夢に4月1日という日付をつけました」。夢が生まれたら、すぐに締め切りを設定。渡邉さんが自らに課している、人生のルールだ。

    ニューヨークで出合った感動、外食産業での起業に向けて動き続けた2年間

    10歳のとき、父が経営していた映像制作会社を清算。その様子を目の当たりにした私は、「大人になったら父を超える強い社長になろう」と強く決意しました。これが、私が起業を意識した最初のきっかけです。

    大学入学後は、6大学連盟のボランティアサークルをつくり、700人のメンバーの長に就任。組織力を最大限に活用した大規模イベントを企画するなど、ボランティア活動に携わりながら、将来どんな事業で起業しようか模索していました。ヒト、モノ、カネという事業経営に必要とされる3つの資源の中で、当時の私が持っていたのは、大学生活で得たヒトを束ねるという要素のみ。ヒトの力を結集することで大企業に立ち向かっていけるビジネスとは何か、世の中を見渡しながら考えてみたのです。

    1980年代前半、当時の日本は、女性の社会進出が始まって、コンピュータがオフィスに浸透しはじめた頃。一方、アメリカでは外食産業が隆盛を極めていました。そんな時代の追い風もあり、起業の選択肢は外食産業か、コンピュータソフト産業だろうと当たりをつけたのです。どちらで勝負するか迷った私は、大学4年のとき、その答えを見つけるために北半球一周のひとり旅に出かけます。ズタ袋とシュラフを担いで各国を回り、最後にたどり着いたのが米国ニューヨークでした。そこで、人種や宗教の壁を超え、様々な人々が集い、食事や音楽を楽しんでいるライブハウスに出会ったのです。そして、そこにいる人たちの素敵な笑顔に涙が出るほど感動しました。「私もこんな店をつくって、たくさんの人たちを幸せにしたい」。心の底から燃え上がるような思いに駆られ、「外食産業でいこう!」という結論を出し、その夢を確実なものにするために「24歳の4月1日に社長になる」と会社設立の日まで決めたのです。

    目標達成の日まで自分に与えた期間は2年。大学を卒業した私は、経営に必要な財務や経理の基本を学ぶために会計システムの会社に就職。半年間でその目的を果たすと、次の1年間は運送会社で働いて独立資金300万円を貯め、残りの半年間はいくつかの飲食店でアルバイトをしながら現場経験を積んでいきました。ちょうどその頃、縁あって居酒屋「つぼ八」の創業者・石井誠二さんにお会いしました。これは良い機会だと思い、「ライブハウスをやりたい」という熱い想いを込めた事業計画書を見ていただいたのですが、返ってきたのは、「いきなりこんな店を出しても失敗するだけだ。でも、君には見込みと熱意がある。『つぼ八』のFCオーナーとして店舗経営をしっかり勉強したうえで、自分の店を出してはどうか」という予想外の答えだったのです。初めは、居酒屋のFCで起業することに抵抗がありましたが、開業のための融資の面倒まで見てくれるという好条件で経営を学べるチャンスなんて滅多にありません。結論として私は、石井さんの提案をお受けし、まずは汗をかきながら経営の勉強をさせてもらうことにしました。

    石井さんから提示された物件は、東京・立川にある店と高円寺の店の2つ。どちらか好きな方を選んでいいと言われたのですが、いずれも経営不振の店で、買い取り価格はそれぞれ3500万円と5000万円。独立資金は300万円しかありませんでしたから、普通なら規模が小さな立川の店を選んで、少しでもリスクを抑えようとするのでしょうね。けれど、経営者になる目処が立った私は、次なる目標として、10年後の株式公開を新たに設定していました。最短でその目標に近づくには、高円寺の店を選んだ方が、苦労は多いだろうけど早道に違いない。どちらの道に進もうか迷ったとき、失敗を恐れて楽な道を選んではいけない。自分を厳しい場所に置くその繰り返しが、必ず自己成長につながると思い、高円寺の店を選びました。こうして、今まで育て続けた夢と、素晴らしい縁から、私は「つぼ八」のFCオーナーとしての経営者人生をスタートさせたのです。

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  • 階段を一歩上るとき|33歳 年収1億円の安定経営を捨て、あえて厳しい勝負を選ぶ
    年収1億円の安定経営を捨て、あえて厳しい勝負を選ぶ
    「『つぼ八』からの撤退を決め、居食屋『和民』での勝負を始めた頃が、一番苦しかった」。捨てるものが大きければ得るものも大きい。渡邉さんは、選択に迷った時、常に厳しい道を選んできた。

    順調だった経営に危機を及ぼした自社ブランド・居食屋『和民』

    1984年4月1日。自分との約束どおり会社(有限会社渡美商事・当時)を設立し、「つぼ八」のFC店オーナーとして起業しました。とはいえ、外食ビジネスも店舗経営も素人同然。では、どうやって進めていったか。「もし自分がお客さまだったら何をしてほしいか」をとことん追求し、異常だと言われるほどのサービスを一切妥協することなく実践していったのです。お店をきれいにするのは当たり前。テーブルクロスは必ず取り替える、おしぼりは膝をついて両手で開いてお渡しする、空いたお皿はすぐに下げる、灰皿の吸殻が3本になったら新しいものと替える・・・・・・。今では当たり前のことですが、当時は高級レストラン並みのサービス。この「異常なサービス」を徹底することで、ほかの居酒屋との差別化を図ったわけです。

    高円寺店の「異常なサービス」ぶりは評判となり、月に30万円程度しかなかった利益は半年後には300万円に跳ね上がりました。その後、勢いに乗って13店舗まで「つぼ八」を拡大しますが、その内7店舗は高円寺と同様に経営不振店。それらを開業時にかかった費用の10分の1くらいの格安価格で買い取って、リニューアルオープンさせる。といっても、余計なお金はないので、これまでと同じように「異常なサービス」を愚直に繰り返すのみでしたが、それだけで店の売り上げは倍増していきました。

    「つぼ八」でなくても成功できる。経営者としての自信を持ち始めた私は、1986年に(株)ワタミ(翌年、ワタミフードサービス(株)に改称)を設立。新業態のお好み焼HOUSE「唐変木」を出店すると、続いてサントリー系の洋風居酒屋「白札屋」を手がけ、さらなる成長を目指しました。ところが、なぜか上手くいかない。どんなに努力しても「白札屋」の売り上げは伸びず、会社全体の経営を圧迫していったのです。それでも必死で金策に奔走し、「白札屋」を「つぼ八」に業態転換することで、なんとか経営危機を乗り越えたものの、この頃から私はお客さまの微妙な変化を感じ始めていました。

    「その原因はフランチャイズ特有の空間やメニューにあるのかもしれない。これからは子どもを持つ女性も社会で活躍する時代。家族で外食するなら、より安全で安心できる『空間』とおいしい『食』を備えた店が求められるようになるだろう」。そう考え、その両方を兼ね備えた「居食屋」という新業態を開発し、東京・笹塚に居食屋「和民」の1号店を出店しました。ところが、コンセプトがまるで異なるにもかかわらず、「和民」は「つぼ八」の顧客を奪っていると見なされ、本部から「和民をやるなら、1年以内につぼ八の契約はすべて解除」という厳しい条件付きで「つぼ八」からの撤退を命ぜられてしまったのです。当時「つぼ八」チェーンの経営は石井さんの手から離れて商社に委ねられていましたから、この命令は絶対でした。しかし、空間と食にこだわった「和民」の食材原価は「つぼ八」の1.3倍、人件費は約2倍かかります。つまり、それまで月に300万円の利益を出していた「つぼ八」を「和民」に変えるだけで、最低でも月300万円の赤字に陥ってしまう。1店舗あたり毎月600万円ずつ資金ショートしていくわけです。こんな状況で私は、FCではない、オリジナルの店舗を構える独立した経営者となったのです。

    当時、このまま「つぼ八」から「和民」に看板を変更していくだけでは、6.5カ月後に経営が破綻してしまうという数字が出ていました。正直、「ここで終わるかもしれない」という不安が頭をよぎったことは確かです。でも、心が折れたことは一度もありません。なぜなら、ごくわずかながら「和民」の売り上げは着実に伸びていましたからね。これは、お客さまから「ありがとう」を集めている証拠。言い換えれば、安心な「空間」とおいしい「食」を提供したいという私たちの夢や想いが、世の中から必要とされているということなんです。自信は持っていい、何か問題があれば、みんなで議論し、解決に導いていけばいい、そう思いました。そこで、利益を出すためには何をすればいいかを探るために、当時、「つぼ八」の経営者を退き、オリジナルの手づくり居酒屋を繁盛させていた石井さんに恥を忍んで頭を下げてお願いし、その店で修業させてもらうことにしたのです。そこで学んだ食材原価と人件費のコントロール手法を持ち帰り、徹底的に店舗運営の手法や店内オペレーションを見直し、社員全員でこのサイクルをひたすら繰り返すことで、販売予測を強化していきました。その結果、一時は経営破綻まで予測された収支は予想以上の速さで改善。自分たちの目指す方向性が間違っていないことを確信した私たちは、地球上で一番たくさんの「ありがとう」を集められる会社になろうという新たな夢を掲げ、積極的に「和民」を展開していこうと決心したんです。それから1年、ワタミフードサービスは「つぼ八」本部との約束どおり、13店舗すべての看板を居食屋「和民」に変えてフランチャイズ契約を解除。その翌年には売り上げが伸び悩んでいたお好み焼HOUSE「唐変木」をはじめとするお好み焼事業からの撤退を決め、居食屋「和民」というオリジナル事業での店頭公開を目指したのです。

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  • 階段を一歩上るとき|36歳 創業当初に掲げていた夢。店頭公開を2年遅れで実現
    創業当初に掲げていた夢。店頭公開を2年遅れで実現
    2年遅れの原因は、お好み焼き事業からの撤退だった。市場から「ありがとう」を集められない事業はやらない。「自分自身が本気でやり尽くしたと思えるなら、あきらめることも必要です」。

    仕事とは夢を実現するためのものであり、人生そのもの

    「強い社長になる」という目標を胸に、創業してから25年。渡美商事はワタミ(株)に進化し、外食、介護、中食、農業、環境などの事業を展開するワタミグループの母体として成長を続けています。現在の私にとって仕事とは、地球上で一番「ありがとう」を集める会社をつくりたいという夢を実現するためのものであり、人生そのものなんですよ。夢を実現したいという思いがあったからこそ、どんな困難に出遭っても、自ら一歩を踏み出すことでそれを乗り越え、ピンチをチャンスに変えてこられたのです。

    とはいえ、具体的な夢や目標を持つというのは、なかなか難しいものです。22歳で大学を出たとしても、社会のことなんてまったくわからないですよね。その時点で、夢や人生のビジョンを持っている人なんてそうそういないんじゃないかな。だから、今叶えたい夢がなければ、自分の中でそれが生まれるまでがむしゃらに働けばいいんです。ワタミの社員には「30歳までは仕事のこと以外は何も考えず、神様が応援したくなるくらいの努力をし続けろ」と言っています。そうしたら、きっと何かが掴めるはずですから。そこまで到達したのなら、自分自身としっかり向き合い、自分の価値観や人生観を明確にすることが大切になるでしょう。会社というのは、何らかの思いをカタチにするために存在しているわけですから、その会社で働くあなたは、仕事を通して何をカタチにしたいのか、人生の中で何をしたいのかを真剣に考えていなくてはなりません。そのうえで、自分の価値観や人生観が会社の理念にマッチしないのであれば、すぐにでも転職すればいい。そんなところで働いていても、そこで費やす努力も時間も無駄になってしまいますから。ただし、自分にとって都合のいい言い訳をして逃げるのはいけません。例えば上司から思うような評価を得られなくて不満を抱くことがあるかもしれませんが、認められないのはすべて自分の責任だと思ったほうがいい。会社が必要だと思う人間であれば、必ず評価されるはずですから。そうなる理由は必ずあなたの中にあるのです。いろいろな理由を挙げて自分を正当化しようとしても、この事実は変わりません。素直に現実を受け入れ、前向きに改善方法を考えていくべきです。そして、夢や目標に向かって進んでいく中でどんな苦境に出遭っても、前例にとらわれず、ゼロベースで物事を組み立ててみることです。私だってそれを繰り返してきたからこそ、今の自分があるのだと思っています。

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「渡邉美樹」の階段と足跡

  • 10歳
    父が会社を清算。大人になったら社長になることを誓う
  • 22歳
    ニューヨークで見たライブハウスの様子に感動し、外食産業での起業を決意
  • 24歳
    自ら定めた「24歳の4月1日」に(有)渡美商事を設立。高円寺駅北口に「つぼ八」1号店を出店
  • 33歳
    自社ブランド居食屋「和民」1号店を出店。「つぼ八」13店舗のフランチャイズ契約を解除し、「和民」に業態変更
  • 37歳
    日本証券業協会に株式を店頭登録(現・ジャスダック市場)。2000年に、東証一部に株式を上場
渡邉美樹

渡邉美樹Watanabe Miki

1959年神奈川県横浜市生まれ。小学校5年生の時、父親が経営する会社を清算したことから、「自分は将来、社長になる」と決意。82年、明治大学商学部を卒業。84年に有限会社渡美商事を設立、経営不振だった「つぼ八」の店を買い取り、FC店オーナーとして経営に参画し、飛躍的に売り上げを伸 ばした。その後、自社ブランド居食屋「和民」を立ち上げ、2000年3月に東証一部上場。外食以外にも「介護」「中食」「農業」「環境」事業を拡大展開中。学校法人郁文館夢学園理事長。医療法人盈進会記念病院理事長。NPO法人スクール・エイド・ジャパン理事長。神奈川県教育委員会教育委員。『きみはなぜ働くか』(日本経済新聞出版)、『強く、生きる。』(サンマーク出版)など著書多数。
個人サイト:http://www.watanabemiki.net/
個人ブログ:http://ameblo.jp/watanabemiki/

取材後記
明確な夢や目標を設定し、それを行動できるレベルまで具体的なステップに区切って一歩ずつ進んでいくことを昔から実践されている渡邉さん。その一貫した行動哲学はもちろんのこと、着実に行動する意思・信念の強さがあるからこそ現在の成功があるのだろう。▼渡邉さんは、「会社の理念と自分の価値観が共有できるかどうかを考えることが大事」と語ってくれた。ワタミの場合、理念とは「地球上で一番ありがとうを集める会社になること」、価値観とは例えば「汗を流して働くことがかっこいい」ということ。理念と価値観が共有できる会社にいることが幸せという考え方は、すべての働く人に共通するのではないだろうか。▼インタビューの最後に、「久しぶりに会った学生時代のサークルのメンバーから、当時とほとんど変わらないと言われた。自分では成長しているはずと思っていたんだけど・・・・・・」と、仲間とのエピソードを笑いながら教えてくれた姿が印象的だった。
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