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階段を一歩上るとき 鈴木おさむ 大事なのは「企て」を「実行」に移すこと

19歳で放送作家デビューを果たした鈴木おさむさん。いまや『めちゃ×2イケてるッ!』『SMAP×SMAP』など多数のレギュラーを抱える超売れっ子作家として活躍し、森三中の大島美幸さんと結婚したことでもお馴染み。そんな鈴木さんの仕事哲学とは?

  • 19歳
    104に電話をかけ放送作家への道を切り拓く
    「大学にいてもピリッとしなかった。せっかく東京に出てきたんだから、何かしよう」と考え、芸能プロダクションに電話をかけることに。この行動力が今に繋がっている。

    104で電話番号を調べ突撃、怖いもの知らずだった行動力

    僕が高校生だった頃。深夜にラジオを聴いていると、タレントさんと放送作家さんが楽しそうに話をしていました。ダウンタウンさんやウッチャンナンチャンさんが出演していた『夢で逢えたら』などのテレビのお笑いバラエティからは、陰で放送作家がいろいろ仕掛けているのが伝わってきた。そういう世界をテレビで見ているうちに、「自分も放送作家になってみたいなあ」と、淡い憧れのようなものを抱くようになっていきました。

    大学1年目のある日、芸人さんのオーディションをやっていた芸能プロダクションの電話番号を104で調べて、そこに電話をした。そしてオーディションに行って「実は放送作家になりたい」って言ったんです。まあ、ずいぶんと乱暴な話ですよ(笑)。でも、これが、この世界に入るきっかけになった。いま考えるとイタい奴ですけど(笑)、当時の僕には、すぐに行動する力があったんでしょうね。

    最初の半年間は、「作家は芸人の気持ちがわからないといけない」ということで、芸人修行をやらされました。全然ウケなかったんですけどね(苦笑)。そんな経験を経た後で、念願の放送作家をやらせてもらえるようになったんです。当時は番組の細かいコーナーの台本から天気予報まで、とにかく何でも書きましたね。それから、ディレクターから1つの宿題を与えられると、それに対して僕は10個はシナリオ案を書いていました。宿題が5つだったら50個。それぐらい出せば、ダメ出しがあっても、どういう所がいいと思ってもらえるのか、ストライクゾーンを知る練習にもなるんですよね。しんどい作業でしたし、しばらくはずっとノーギャラでしたけど、自分の憧れの場所にいさせてもらえたので、僕は毎日ものすごく幸せでした。

    大学を辞めたのは3年生になる直前。3年目くらいになると多少はギャラももらえるようになっており、両親にも納得してもらえるだろうと思い中退を決意しました。退学届を出しに行った日はさすがにドキドキしてたんですが、学生課での手続きは、ほんの15分程度であっけなく終了。それが逆に、僕の居場所はここではなかったという気持ちにさせました。「考え直さなくてもいいんですか?」なんて、誰も心配してはくれませんでしたからね(苦笑)。で、そのとき、ふと頭をよぎったのは、ラジオの現場のこと。あそこには、いつも真剣に、僕の書いた文章の一言一句を直してくれ、本気で怒ってくれる大人たちがいっぱいいた。それが本当にありがたかった。それ以降僕は、放送作家という職業こそ、自分がいるべき場所、歩むべき道だってはっきりと意識するようになっていきました。

    19
  • 23歳
    自分をアピールしていき人気放送作家へと飛躍を遂げる
    自分のやりたいことを積極的に口にしていったことでチャンスを広げた20代前半。しかし、「チャンスを与える人も勇気がいる」ということを、今、わかってきたという。

    チャンスを得るために努力し、もがいた日々

    放送作家としての大きなキャリアアップのチャンスは、大学を中退した後にやって来ました。

    そのころ、僕はとにかくガツガツしていて、周りの人たちに「何でもやります」って言って回っていた。とにかく、やりたいことをいろいろなところでアピールしていました。そのうち、あるフリーのディレクターが「今度TOKYO FMで新しい番組をやるんだけど、やってみる?」って言ってきたんです。それが、木村拓哉くんの番組『WHAT’S UP SMAP!』でした。

    僕は、同い年の木村くんと一緒に、番組でたくさんの面白い企画を実現していきました。リスナーの反応も上々でしたね。そして僕は、木村くんたちSMAPがやるテレビの新番組『SMAP×SMAP』の作家の一人として呼ばれることになりました。そこから、フジテレビの荒井昭博さんというプロデューサーにたくさんチャンスをもらえるようになっていったんです。

    僕がここまでこれたのは、年長の先輩たちの度量の大きさのお陰だとも思っているんですよ。だって、いくらアピールしていたとは言え、よくもまあ、23歳の若造にチャンスをくれる気になったなあって思うわけですよ。若手にチャンスを与えるにはすごく勇気がいる。野球だって、どんなに能力があっても監督が「こいつを使う」と決断しないと打席に立てないじゃないですか。僕は当時、それにとても感謝し、彼らに恥をかかせないように、それこそ寝ないで、死ぬほど努力をしました。根性論みたいですけど、楽しい場に居続けるには、ものすごくもがいてないといけないじゃないですか。しんどくても、それも含めて楽しいと思えるかどうかが大事でしょう。

    会議では、とにかく目立たなければと思っていました。「こいつ、面白そうな奴だな」と思ってもらうことができなければ、ネタを採用してもらえないと考えていたんです。だって、同じような企画が二人から出てきたとしたら、人って、絶対に魅力がある人間の企画を選ぶでしょ? そういうことを強く意識していたんです。

    だから、話題づくりのために、人のやってないことをやって興味を持ってもらおうと思ったんです。例えば、あのころ流行りはじめたSMクラブに先駆けて行ってみたのもその一つです。その体験を話すと、スタッフのみんなもタレントさんも、「このSMヤロー!」ってバカにしながら、僕という人間にすごく興味を持って接してくれました。そして思った通り、そこから自然と仕事が広がっていきました。しかも、企画や原稿そのものにも、そうした体験が血となり肉となり、いい影響が出て来ていた……。ああ、放送作家の仕事って、プライベートと仕事が一体化しているんだなあって、つくづく実感したんです(笑)。

    23
  • 30歳
    「好奇心を追求した」形で大島美幸さんと結婚する
    大島美幸さんとの結婚は大きくメディアを賑わせた。そしてこの結婚を機に、『ブスの瞳に恋してる』を出版するなど、仕事の幅もさらに広がっていくことに。

    すべての夢の実現は、一歩を踏み出す勇気から

    僕は、よく人から「好奇心が旺盛だね」って言われます。たしかに、奥さん(森三中・大島美幸さん)と交際ゼロ日で結婚したのは、好奇心を追求した究極の形でしたからね(笑)。

    仕事も普段から、そんな風にいろいろやっています。ドラマや映画の脚本を書いたり、エッセイを書いたり、舞台でお芝居をやったりしている。すべてが好奇心の赴くまま、という感じですよね。

    やって後悔することって、一つもありません。それよりも、もし興味を持っているのにやらなかったら、すごく後悔するだろうなあって。08年に初めて出版した『ハンサム★スーツ』という小説もそうです。あれ、07年の貴重な夏休みの8日間を使い、寝ないで500枚くらい書き上げたんですが、やって本当によかった……。

    もともと僕は、「いつか小説を書いてみたいなあ」って思っていました。でも、忙しいのもあって、なかなか実現できずにいたんです。そうこうしているうちに、僕と同い年のお笑いコンビ品川庄司の品川祐くんが『ドロップ』という小説を書いて、それが大ヒットした。僕は、なんとなく悔しい気持ちを持ちつつ、彼に賛辞を送るべく、ある日、いっしょにお酒を飲みにいったんです。すると彼、その場で、こんなことを言うんですね。「みんな、小説は面白かったって言ってくれている。それはとても嬉しい。でも、その後きまって『実は時間があれば、オレも小説を書きたいって思ってんだよね』って付け加えてくる。じゃあ、とやかくいわずに一回やってみろよ!って思ってしまう」って。彼はライブのネタを書いたりテレビに出たり、先輩との付き合いで毎晩お酒も飲んでいて、そういう忙しいなかで小説を書き上げていた。努力もせずにできることみたいに言ってほしくないっていう思いがあったみたいなんです。そして、何より強烈だったのが、彼が最後にポツリと漏らしたこの言葉。「『やった』と『やろうと思った』との間には、ものすごく大きな河が流れているんだよね」……。それを聞いて、僕は本当に自分のことが恥ずかしくなったんです。品川くんに嫉妬している場合じゃない、とにかく行動あるべしだ、って。この出来事は自分の原点ですね。それを機に、変な言い訳は口にせず、根性を据えて小説執筆に取りかかることを決めたんです。

    世の中を見回してみても、自分の思いを行動に移す人って、1万人いたら、せいぜい100人ぐらいしかいないんじゃないでしょうか。たった一歩を踏み出せばいいことなのに、意外とできる人は少ない。本当にもったいない話です。やりたいことを口にすることもいいと思いますよ。もちろん、事を起こす前には、じっくり考えたり、リサーチすることも必要なんでしょうけれど、大事なのは企てを実行に移すことがどれだけできるかじゃないでしょうか。

    最後に、参考になるかどうかわかりませんけど、僕がある弟子を採ったときのエピソードを紹介しておきましょうか。

    僕には、二人弟子がいます。で、一人はもともとまったくの素人でした。実は彼、僕がラジオの番組の仕事があるたびにラジオ局の外で待ち伏せしていて、僕が帰るときに必ず「弟子にしてください!」って言い寄ってきた奴なんです。最初は気持ち悪いから、完全に無視。でも、そのうち馬のお面を被ってきたりして、とにかく僕を振り向かせようとイタい努力もしはじめ、僕は不覚にも、ちょっとずつそいつのことが気になりはじめたんですよ(笑)。そういうことが数ヵ月も続いたでしょうか、ある日僕は、ふと自分が104でお笑いプロダクションの電話番号を調べて、いきなり電話し、それでこの業界に入った経緯を思い出し、「こいつも同じような勇気と行動力があるんだな」っていう風に思えるようになったんです。で、「もし彼がこれを1年続けたら、弟子に採ってやろう」と考えるようになったんです。結果はどうだったか。彼、見事1年間、その行動をやり続けたんですよ。僕はちょっとした感銘を受けながら、その日、「来週、ラジオの現場に来てみる?」っていう言葉を彼にかけました。ちなみに彼、いま、けっこう良い仕事しているんですよね。まあ、採ってよかったなあって思っています(笑)。

    30

「鈴木おさむ」の階段と足跡

  • 19歳
    104に電話をかけ、放送作家の道を歩みだす
  • 23歳
    『SMAP×SMAP』『めちゃイケ』の前身番組などに携わり、一躍人気放送作家へ
  • 29歳
    月9ドラマ『人にやさしく』の脚本を手がける
  • 32歳
    妻・大島美幸さんとの結婚生活を綴った『ブスの瞳に恋してる』がベストセラーに
  • 35歳
    品川祐氏の言葉に発奮し、自身初の小説『ハンサム★スーツ』を出版

インフォメーション

ジャングル大帝

日本を代表する漫画家・手塚治虫氏の代表作である「ジャングル大帝」が、この夏、フジテレビの特別アニメ番組として復活する。そして、その脚本を手がけたのが鈴木さんだ。
鈴木さんにとっては今回の作品が初めてのアニメ脚本となる。しかし、持ち前の好奇心を発揮し、「リスペクトしている手塚治虫さんの作品と自分をコラボさせていただくのは夢のよう」と、意気揚々と今回の仕事に取り組んだのだとか。日本を代表する巨匠の作品と、現代の超人気作家のコラボレーションが今から待ち遠しい。
アニメ「ジャングル大帝」は、2009年夏、フジテレビにて放送。

鈴木おさむ

鈴木おさむSuzuki Osamu

1972年千葉県生まれ。19歳で放送作家デビュー。ニッポン放送で膨大な数の番組構成をした経験をベースに、次第にキャリアを伸ばしていき、いまや『SMAP×SMAP』『めちゃ×2イケてるッ!』『笑っていいとも!』『金曜日のスマたちへ!』『WHAT’S UP SMAP!』など、テレビやラジオで多数のレギュラーを抱える超売れっ子作家として活躍。また、ドラマや映画の脚本、エッセイや小説の執筆、舞台の演出などでも注目を浴びており、日本のエンターテイメント界をリードする存在ともなっている。なお、02年には交際期間ゼロ日で森三中の大島美幸さんと結婚するなど、私生活面でも話題が尽きない。
http://www.osamushow.com

取材後記
鈴木さんのキャリアアップは、常に「一歩を踏み出す勇気と行動」と「来たチャンスを活かすために死に物狂いで努力する」ことによって果たされてきた。現状打破を強く望んでいるものの、それを行動に移せない方は、大いに力づけられるのでは。▼転職について、鈴木さんは取材終了間際にこう語ってくれた。「僕には転職経験はないけれど、自分が前に進みたいという情熱を止めないための転職は、とてもいいことだと思うし、ぜひ応援したい。ただ、人や環境が合わないみたいな言い訳で辞めるのは残念ですよね」▼夕刻の取材終了後、鈴木さんは、バラエティ番組の会議の現場へと向かった。「これから朝まで会議。体力的にはしんどいけれど、慣れると楽しくて仕方がない。僕にとって、仕事の疲れを吹き飛ばすのは仕事ですから」と言い残して。
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