- リクルートエージェント(以下RA):
- 日産自動車が電気自動車(EV)の開発を始めたのは、いつからですか?
- 日産 伊藤健(以下、伊藤):
- 我々が所属するEVパワートレイン開発部は、すでに前身となる部署が1990年に立ち上がっていたんです。まだバブル期だったということもあって、ガソリン車に替わる次世代車の開発に目を向ける余裕が当時はまだあったんですね。そこで、半導体を使った電子部品の設計から生産技術に至る研究を始めたんです。
- ところがご存知の通り、カルロス・ゴーンが日産自動車にやってきた1999年という年は、次世代のことを考える余裕など持てない時期で、自社で開発を手掛けなくても優秀なサプライヤーと組んでいけばいいじゃないかという考え方になっていったんです。 当然、次世代車の各開発部門のほとんどは、撤退を余儀なくされました。
- RA:
- そのような状況から、どのようにして電気自動車を開発する土壌が出来上がっていったんですか?
- 伊藤:
- ただひとつ、燃料電池自動車(FCV)の開発は、将来につなげる技術として細々とながら続けていました。モータとインバータの試作と評価をくり返して、できる限りの内製化(設計や生産などを自社で行うこと)を目指していたんです。
- ところが2000年代半ばころになると、それまでコストが高く、重量が重く、短時間しか駆動しなかったバッテリーの技術革新が進んで、電気自動車を作ることのできる可能性が高くなってきました。すでに撤退したハイブリッド車(HV)の参入には大幅に乗り遅れていましたから、燃料電池自動車で開発したモータとインバータを使った電気自動車を製品化するほうが現実的になってきたんです。
- とはいえ、すぐに上からのゴーサインが出たわけではありませんでした。2000年代前半はハイブリッド車も、燃料電池自動車も、電気自動車も、その可能性はまったくの未知でしたからね。そんな中で我々チームは独自に開発を進め、電気自動車に限りなく近いモデルを試作し、経営陣を招いた試乗会を行ったんです。彼らは経営のプロというだけでなく、無類のクルマ好きですから評価を得ることはとても難しいのですが、とても興奮した感想をいただき、成果を認められたことで日産リーフの開発のきっかけになりました。それが2007年のことで、倉庫になっていた座間工場も大幅なリューアルをすることになり、本格的な開発が始動したんです。






